<史跡巡り>川津となまずの里・吉川
- 活動報告
- | 2017年12月12日
先日、越谷市郷土研究会の皆様が史跡巡りにお寺へお越しくださいました。
越谷市郷土史研究会は市内・市外の史跡巡りや歴史講演会など、積極的に活動されてる団体で、
この日も朝から「川津となまずの里・吉川」というテーマで、越谷と川を挟んで隣り合う吉川の史跡を巡られるそうです。
研究会の皆さま、お疲れ様でした。
この日のテーマ「川津となまずの里・吉川」とありますが、寺の縁起を見ても吉川と川の関係は深かったことが伺えます。寺のある吉川市木売は昔は木売川戸と呼ばれていたように、古来から船着き場として人々が集まるところだったそうで、そのような理由から親鸞聖人は弟子の西念にこの地での寺院建立を勧められた、と伝えられています。
また、江戸時代に書かれた津田大浄『遊歴雑記』には多くの参詣者を舟で渡す様子が描かれています。
東部の男女貴賤木売村をこころざして参詣する人夥(おびただ)しく、
此八条の舟のわたしにて人数を量るに十四日九百余人、
十五日弐千余人通行せしと舟場司役の者物がたりて、
近年に覚えざるひとなりといひあえり、
さればこそ舟三艘を以て交わたすに船頭休息する暇なく、
辰の刻よりわたし初め未の下刻より往来減ぜりと巷談す
木売村へと向かう多くの参詣者を越谷側から吉川側へ渡すために、朝7時頃から午後14時過ぎまで、三艘の舟が休む間もなく行き交ったということです。
他にも、船着き場周辺には宿場、銭湯、髪結い所などが軒を連ねたと記されてあり、当時の川を中心とした賑わいの様子がうかがえます。
その土地の特色をおさえて歴史を理解していくと、一層面白いものですね。