このたびは清浄寺のホームページをご覧頂きまして誠にありがとうございます。住職の藤井壽雄と申します。
現代社会における情報共有、及びコミュニケーションの道具としてインターネットがますます欠かせない世の中になってまいりました。不慣れながらも近隣地域・遠方の方々にお寺の歴史や活動を知っていただくためにホームページを開設しました。このホームページを通してあまりお寺にご縁のない方々もお寺の活動を知っていただいて、実際にお寺に足を運んでいただければ幸いです。
徐々に内容を更新していき、見やすく内容あるものにしていきたいと思っています。温かくお見守りいただければありがたく思います。
合 掌
創建/弘長元年(1261年)
- 開祖 西念法師
- 清浄寺の開基西念法師は、源氏八幡太郎義家の流れをくむ信州(長野県)高井郡井上城主井上盛長の子として生を受け、三郎貞親と名づけられました。貞親5歳の時、父盛長が奥州の乱で討ち死にし、また29歳の時に母と別れ世の無常を感じ、当時流刑地越後(新潟県)におられた親鸞聖人を訪ね門弟となられました。
- 木売川戸の賑わい
- 親鸞聖人は貞親に西念という法名を授け、西念は常に聖人のそばに仕えておりましたが、やがて聖人は赦免され関東に向けて旅立たれます。西念31歳の時、聖人と供に武蔵国足立郡野田(さいたま市)に坊舎を建立、西念寺と号し教化の第一歩を踏むこととなります。また、聖人の命により当時諸国の船通路で人々が多く集まるところであった二郷半木売川戸(吉川市木売)に西光院(現在の清浄寺)を起立。西光院には親鸞聖人もたびたび足を運ばれ、有縁の人々に説法され、寺の縁起には『参詣市の如く群集せり』と当時の様子が記されております。
- おむくさま
- 現在、清浄寺には西念が親鸞聖人から賜ったとされる親鸞聖人木像が本堂にご安置されており「おむくさま」と呼ばれています。西念亡き後時は移り、西光院第三代西順の時代になると世は乱れ、戦火が相次ぎました。西順は御木像が失われることを恐れ、その御木像を門前に埋め隠しました。やがて世の中は落着きを取り戻しましたが、西順も往生し、埋められたお木像も人々の記憶から忘れ去られてしまったころ、第四代了西の時代になり、御木像を埋めたところがむくむくと動き出したので村人たちがそこを掘ったところ御木像が出現したというのです。御木像がむくむくと現れたので、いつの間にか「おむくさま」と呼ばれ親しまれ、掘り出した跡は池をつくり「おむくの池」として現在も寺の門前に残されています。
1232年
貞永(じょうえい)元年
6月15日 親鸞、木売の西念坊ら24人の僧を選び、関東の法流を守らせることを命ずる
1261年
弘長(こうちょう)元年
親鸞の弟子・西念が木売川戸に西光院(さいこういん)を創建
1288年
正応(しょうおう)元年
本願寺覚如、野田西念寺にて107歳の西念に面会
1292年
正応(しょうおう)二年
3月15日 西念、108歳にて往生
1301年
正安(しょうあん)三年
南無仏塔造立
1587年
天正(てんしょう)十五年
11月11日 西光院住職良盛(りょうせい)、親鸞聖人坐像を修理
1803年
享和(きょうわ)三年
『二十四輩順拝図絵』が作成され、西光院のお無垢尊像が出現した話や寺の景観図が掲載される
1818年
文政(ぶんせい)元年
津田大浄『遊歴雑記』に西光院参拝で賑わう木売村の様子が記される
1847年
弘化(こうか)四年
11月 深川木場(江東区)の松屋清兵衛、狩野梅春貞信画の『西光院無垢寿像御絵伝』を表装し奉納
1855年
安政(あんせい)二年
10月2日 江戸大地震により本堂は大破、庫裏・門・水屋などが潰れる、その後再建し現在の本堂の姿となる
1876年
明治九年
清浄寺に木売学校が開校
1918年
大正七年
5月 鏡池(おむくの池)修築
1921年
大正十年
4月 楠木井戸修築
1960年
昭和三十五年
3月1日 南無仏板碑、西念法師塔が県指定文化財となる
1983年
昭和五十八年
本堂屋根修理
2004年
平成十六年
3月24日 親鸞聖人坐像、親鸞聖人絵伝が市指定文化財となる
11月26日 入江長八作親鸞聖人坐像、市指定文化財となる
2007年
平成十九年
納骨堂再建、客殿修理
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一.宗名
浄土真宗本願寺派(西本願寺)
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一.宗祖
見真大師親鸞聖人(1173年~1262年)
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一.本尊
阿弥陀如来(南無阿弥陀仏)
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一.経典
- 浄土三部経
- 仏説無量寿経(大経)
- 仏説観無量寿経(観経)
- 仏説阿弥陀経(小経)
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一.教義
阿弥陀如来の本願力によって信心をめぐまれ、念仏を申す人生を歩み、この世の縁が尽きるとき浄土に生まれて仏となり、迷いの世に還って人々を教化する。
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一.生活
親鸞聖人の教えにみちびかれて、阿弥陀如来のみ心を聞き、念仏を称えつつ、つねにわが身をふりかえり、慚愧と歓喜のうちに、現世祈祷などにたよることなく、御恩報謝の生活を送る。
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一.宗門
この宗門は、親鸞聖人の教えを仰ぎ、念仏を申す人々の集う同朋教団であり、人々に阿弥陀如来の智慧と慈悲を伝える教団である。それによって、自他ともに心豊かに生きることのできる社会の実現に貢献する。